故・小田切信男氏

小田切信男氏はキリスト教徒の医師でしたが、信徒伝道者として日本の歴史に於いて貴重な働きをされました。出身教会は内村鑑三氏が創立に関わり、作家の有島武郎も入会していた札幌独立基督教会です。その内村鑑三氏から生まれた無教会(主義)は、「第二の宗教改革」とも言われるように16世紀のルターらによる宗教改革をさらに進展させたものと見る向きもあります。

 

たしかに洗礼や聖餐などの礼典儀式や、司祭とか牧師のような職制はありません。しかし、それらと不可分の信条同意の問題が不問に付され、むしろ内村氏は、キリスト教の歴史において「正統と異端」を分かつ基準とされてきた「三位一体」の教義を積極的に受け入れ肯定的な評価を与えています。

このような無教会の流れの中から、個人レベルで宗教改革を徹底しようとする人物が出現したのも神の摂理と信じることができます。小田切信男氏こそ、まさにそのような人物であると私は思います。

 

小田切氏は無教会主義の精神を持っておられましたが、「私の教会にはきまった牧師さんがおりませんでしたので、日曜毎に平信徒が代るがわる礼拝説教を担当していたのであります。私も、しばしば、説教したり、聖書研究の責任者となったりして、戦後の教会を再建する為に努力致しました。それにまた、私が責任者となって教会から、聖書研究という月刊雑誌を刊行し、私の説教を集めた、証詞の書も出版しました。」(『キリスト論・ドイツの旅』〔紀伊國屋書店〕p69)と述べているとおり、教会を拠点とした伝道活動をされていました。さらにYMCA同盟での奉仕をされ、その活動の延長線上に神学者などとの神学論争が位置付けられます。その論争というのは、キリスト論(福音論)の問題を信徒の立場から提起され、キリスト教の中にあるタブーに挑戦した出来事です。

小田切氏は、『福音論争とキリスト論』(待晨堂書店)のあとがきの最後で、「聖書の福音を鮮明にすることが、キリスト論論争の目的であった」と述べ、『キリスト論・ドイツの旅』のあとがきでは、<福音を正しく理解する目的で、「キリスト論」と取り組み十五年になりました>と語られています。

 

当サイトの目的は、小田切氏が『キリスト論・ドイツの旅』(紀伊國屋書店)の出版動機として書いておられる、「キリスト教伝承の中のタブー化しているキリスト論について発言するきっかけを作り、多くの真実なキリスト者が、聖書に基づくキリスト論について、自由に、恐れなく論じて、聖書の語るキリストの真実に肉迫し、より多く福音の富を、そして、より多く神の恩恵を見出し、感謝を共に致したいという念願」(p9)を受け継ぐことにあります。ちなみに序文の最後は、「私は、ここに、高く、深く、広いキリスト教の真理である聖書に挑戦する人々、とくに、若い人々に何らかの参考ともなれば幸と存じましてこの書を世に送るものであります。」(pvi)と結んでおられます。

小田切氏のキリスト論は、共鳴したドイツの婦人宣教師の解任といった意外な出来事を生みましたが、小田切氏が<「日本の波」に止るならば、たとえ、いかにはげしいものでも――いな、むしろ、激しければ激しいだけ――いっそう広く、キリスト論研究へのパトス(熱情)をかきたてることとなり、必然的に聖書研究に人々を導くことともなって、必ずしも悪い結果になるものとは考えられません。>(p19)と述べておられるとおり、その「波」を起こして「パトス(熱情)をかきたてる」働きをも伝えてゆければよいと思います。

 

当サイトでの御著書からの引用は、管理人である私が主要であると判断した箇所であり、叙述内容は全体的に私自身の感想も含んでおり、専門家の著作から引用しながら書いたものであることをお断りしておきます。

 

「タブー」ということに関して、小田切氏の次のような自己紹介があります。

<四十才を過ぎてから、聖書のしめす中核である十字架の福音に立って聖書を見直し、まず聖書の中心と周辺とを識別するとともに、次第に聖書の神と、聖書のキリストとがキリスト教会の教える信条の神や、信条のキリストと、どうしても一致しないものであることを見い出しました。そして、教会には、キリストと神について、是が非でもというように定めたタブー的なものが支配していることに気がついたのであります。>(『キリスト論・ドイツの旅』序文iii)

「私は一キリスト教徒として、長い間教会生活を続け、聖書を学んできましたが、キリスト論をとり上げて以来、私自身の眼で読み、私自身の心で考えた聖書は、いわば、多年キリスト教のタブーとなってきた信条について、幾多の疑問を持たしめ、遂にキリスト教伝来の、いくつかの信条を否定することとなりました(第十章)。」(同上、序文v)

「私は福音に徹せんとの願から私の救主イエス・キリストの人格を聖書に求めました。その結果計らずもキリスト教の古い伝統に抗することになったようであります。」(『キリストは神か』p76)

この「抗する」精神が尊いと私は思います。人は年齢と共に保守的になり、伝統に反抗する元気など衰えてしまってどうでもよくなる傾向があるからです。ちなみに管理人の私も、還暦直前にルターの福音の再発見ならぬキリストの再発見をすることにより、イエス・キリストを「真に神、真に人」であるとの信仰を告白できるようになり、ひいては、父・子・聖霊の三一神信仰を(…「位」と「体」までは認めがたいが…)告白できるようになりました。その点では小田切氏の立場とは開きが大きくなりはしましたが、小田切氏の北森嘉蔵師に対する論争については、一般的には小田切氏が無謀な挑戦者であるかのような観があったかも知れませんが、私はそうではありません。(北森)「教授はアリウスによる『異なる福音』から福音を守るために、教会は明確にイエス・キリストを『神』として告白する表現に迫られたと言える。もしアリウス主義が出現しなかったならば、小田切博士がいわれるとおり『神の子』だけで十分であったでもあろう、と言われ」(『キリストは神か』p42)ているとおり、また、「北森先生によると『子なる神』は死んだ。『父なる神』は死なない。『霊の神』は死なない。しかしそれで一体だというのであります。北森先生は、子なる神が死んだ瞬間においても、父なる神は生きていらっしゃる、そして一体だという(中略)大変聖書的には問題」(『福音論争とキリスト論』p117)と言われているとおり、小田切氏は北森氏と互角にわたりあっておられるのです。

しかも、「小田切先生の根本的な立場が、アリウス派やユニテリアン派などとは全く異り、あくまで聖書的、福音的信仰にあることがわかると、一切のわだかまりは消え失せ、あとでは、本当になごやかに、信仰の語らいを交えることができて、感謝にたえなかった。」(『キリスト論・ドイツの旅』p23)と言われています。

 

 

イザヤ書に「まことに、天は地よりも高い。それと同じように、わが道はあなたたちの道よりも、わが思いはあなたたちの思いよりも高い。」(55:9)と書かれてありますが、それは「神のことば」として受け取るべきで、教会神学者の教義学的思弁のような「人のことば」として受け取るべきではありません。しかし彼らは言います、三位一体の教理は、あなたたちの頭では及ばぬほど高いのだと・・・。そう、我々信者が何を言おうが、あなたたちの思い及ばぬ、つまり「神秘」とか「秘義」の領域に「三位一体」はあるというわけです。

これってB29と同じようなことで、つまり超高度だから我々の攻撃は及ばず、何を言っても無駄だというわけです。そういう理屈って、法律関係でも言われることですが、素人の立ち入れない世界だって言うんなら、そんなものが教会現場で信者の信仰告白になること自体がおかしいでしょう。だから高見の見物のように安全なところから、我々の三位一体批判を批判する神学者などの連中に対して果敢に体当たりを試みてゆく、その姿が小田切氏が北森師あたりに対してやったことと似ていると感じるのです。三位一体はけっして神の思いなんかではありません。だから実際には人知が及ばない超高度の教理なんかでは無い!我々が現場の視点で体当たり覚悟の攻撃をしかけてゆけば、必ず撃墜できるのです。小田切氏はその先鞭をつけてくれたと言ってよいと思います。

 

(管理人の注)

[キリスト教の「基本信条」は、4~6世紀の間に成立した「使徒信条」(原形となる「古・ローマ信条」は2世紀の成立)、紀元325年のニカイア公会議で制定された「(原)ニカイア信条」、紀元381年のコンスタンティノポリス公会議で制定された「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」、紀元451年のカルケドン公会議で制定された「カルケドン信条」、5世紀に成立したアタナシウス信条、の計5つの信条である(※「原ニカイア信条」を含まない場合がある。また、東方教会は、西方教会で成立した「使徒信条」と「アタナシウス信条」を採用しない)。小田切氏は、このうちの特に「使徒信条」、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」、「カルケドン信条」の三つを問題としている。これらの信条のうち、プロテスタント教会の少なくとも日本の教会現場では、「使徒信条」以外の信条を礼拝・礼典で告白する教会は少数派である。]

 

小田切氏は、キリスト教の信条・教義における「タブー」を恐れず、大胆に公開の形で神学者などを相手に問題を提起されました。また、所有されていた建物を開放してキリスト論や神観の研究会を立ち上げ、学者たちとの共同研究を主催されました。その根本にある情熱は「ケーリュグマ」ないしは「十字架の福音」に向けられています。

<キリストの先在を聖書的に信ずるならば、その先在時は彼が神的人格であったことを認めることは当然であります。聖書はかかる神的人格(神の子)の受肉を語って、救の出来事(ケーリュグマ)を告げるものでありまして、決して神ご自身の受肉を語っているのではありません。あくまでも、歴史の人イエス・キリストに、キリストの出来事(福音)の基礎があるということを、限りなく主張しなければならないと思います。要するに、私の関心はあくまでもケーリュグマの秘義を追求する点にあるのでありまして、そのために、キリストご自身の自己証言、初代キリスト教徒の残したキリスト証言を、聖書テキストの中に捉えて、福音の秘密に徹せんと願っているのであります。それゆえ「神なるキリスト」ではなく、「神の子なるキリスト」の中にこそ聖書の秘密があり、神――人――創造――救済――終末に関わる、重大な真理がすべて、神の子、イエス・キリストの中にひそむものと信ずるのであります。ここに聖書テキストに忠実に第四世紀の神学を越えて進もうとする私の意図が存するのであります。>(『キリスト論・ドイツの旅』p135)

私のキリスト理解はあくまでも贖罪死という真の死をとげたというキリストに重点がおかれているのであります。そして、このような十字架の出来事にはじまるケーリュグマが、キリスト教をして真にキリスト教たらしめているものであると信ずるのであります。そして、このような「十字架の福音」から――当然のこととはいえ――私自身の聖書理解やキリスト論が出て来ているのであります。>(同上、p190)

聖書を真に聖書たらしめ、キリスト教を真にキリスト教たらしめているものが、キリストであり、その死と甦りのケーリュグマにあるとの、この一点を失いたくないと存じます。そして、ケーリュグマが真にケーリュグマとなるためには、古い信条は極めて危険だと思われてなりません。」(同上、p191)

<キリスト教をして、真にキリスト教たらしめているものは、ケーリュグマであります。すなわち、キリストなるイエスの十字架の「死」と「甦り」であります。それ故、ケーリュグマに立って考えますなら、キリスト教とは広い意味における贖罪宗教(十字架の福音)として受けとめてもよいでありましょう。そして、もし、キリスト教が贖罪宗教でありますなら、当然イエス・キリストが「人」でなくしては成立しない宗教と言わねばなりません。イエス・キリストがあくまでも「歴史的人格」であるという、その歴史性が弱められますと、ドケチズムの襲うところとなって、福音は破れてしまいます。福音はイエスの「死」と「甦り」とによって成立したものでありますから、死ばかりでは福音とはなりません。すなわち、十字架上の死のみでは福音は成立しないのであります。「十字架の死」が真に「十字架の福音」となりますのは、甦りの出来事によるのであります。>(同上、p360)。 

 

このように小田切氏にとっては「ケーリュグマ」ないしは「十字架の福音」へのパトス(熱情)が活動の原動力になっていたであろうことは、小田切氏が御自分について、「十字架の福音の光の下における聖書主義者」をもって任じております。」(同、p212213)と述べておられることからも察せらます。その点で小田切氏の信仰はオーソドックスであり、上記の言葉だけ見る限りでは一般のプロテスタントと何ら違いはありません。

しかし、<キリストなるイエスが「人」であって「神」ではないというところにこそ、十字架の福音が成立し、新約の贖罪宗教が成立するのであります。すなわち、「三一神論の破れ」にこそ、福音が成立するのではありますまいか。>(同上、p366)というところで、伝統的キリスト教とは一線を画すことになります。

<私にとっては、福音の理解を聖書に基づいて徹底いたしますならば、キリスト・イエスは神であり給わず、また、歴史の中からいで来った、ただの人でもなく、先在、受肉、死、甦、再臨、を貫く神の子として、それ故、地上のキリスト・イエスは、天にて受けた使命の記憶をもち、その実践に生きた人格として見て、はじめて、聖書の告知する神の子イエス・キリストを理解できるものと存じます。――「神の子」は、神でないからこそ、受肉し、死と甦りの出来事を、その身に現出して、救済の業を完成なさったのでありまして、――あくまでも彼の十字架の死に、福音を見るのであります。すなわち、肉体をもった所の「神」ならざる人格にのみ「十字架の福音」があり得るからであります。>(『福音論争とキリスト論』p221~222)

 

小田切氏は、「キリスト教とは広い意味における贖罪宗教(十字架の福音)として受けとめてよい」と述べ、<当然イエス・キリストが「人」でなくしては成立しない宗教>だと述べておられます(同、p366.p8~9、122参照)。しかし同時にイエス・キリストは被造物ではなく「父=神」から生まれ、先在のロゴスが受肉した存在であり、「父=神」と同質・同等の「神の子」と信じ告白しておられます(『福音論争とキリスト論』p82、『キリスト論・ドイツの旅』p134~135、163参照)

キリストが神と「同質」であると認めるなら、「神の子キリスト」は「神」であるとする正統派の命題を批判することはできません。論理的には「神」と同質の存在は「神」だからです。この点は、当サイト管理人の私自身の観方とは異なりますが、小田切氏の言われる「平信徒」の立場で、タブーを恐れずに正面から、神学者などを相手に教会の教義を批判し論争した小田切氏の姿によって、自分の信仰内容が教会の教義になじまない信徒は自由と勇気を与えられます。

私見では、聖書は教義的拘束など抜きにして、信徒各人がその置かれている状況の中で自身の「神(との)関係」の中で実存的に読み解いてこそ、生活につながる命の言葉になると思います。

小田切氏はキリスト教界の中で異端視されることがありましたが、一方で神学者や牧師の中にも小田切氏の活動に理解を示す人々もいました。その代表例として「小田切信男博士感謝記念論文集」の『キリスト論の研究』(創文社.1968.6)の序文に記されている酒枝義旗氏の言葉を引用します。

「小田切博士がキリスト教青年会の目的条文との関わりにおいて、キリスト論の問題を提起されたのは、神の子キリストの十字架上の死による贖罪の秘義が曖昧にされてはならぬという、真剣な福音伝道的配慮に出たのであるが、それとともに、イエス・キリストは誰であるかの問題を、ただ伝統的信条の繰り返しから解放し、いま一度、まさに自分自身への問いとして、問い直そうとする、烈しい意図に燃えていたのであった。」

「意図」といえば、前に引用しているとおり小田切氏はこのように述べておられました。

<要するに、私の関心はあくまでもケーリュグマの秘義を追求する点にあるのでありまして、そのために、キリストご自身の自己証言、初代キリスト教徒の残したキリスト証言を、聖書テキストの中に捉えて、福音の秘密に徹せんと願っているのであります。それゆえ「神なるキリスト」ではなく、「神の子なるキリスト」の中にこそ聖書の秘密があり、神――人――創造――救済――終末に関わる、重大な真理がすべて、神の子、イエス・キリストの中にひそむものと信ずるのであります。ここに聖書テキストに忠実に第四世紀の神学を越えて進もうとする私の意図が存するのであります。>(『キリスト論・ドイツの旅』p135)

「意図」 ⇒ 「願い」 ⇒ 「関心」というつながりで見れば、私見では、聖書の真理を、より純粋に捉えて信仰生活を歩んでゆくということではなかったかと思われます。ただしその純粋さというのは学問的客観性だけではなく、むしろ重きが置かれていたのは信仰的主体性とでもいえるものだったと思われます。その意味で私は、キリスト者としての小田切信男という人物は「十字架の福音の光の下における聖書主義者」というよりも、「実存的福音主義者」という方が適しているように思えます。<聖書とても、そのまま「聖なるもの」ではありません。それ故、宝物扱いはできないのであります。しかし、聖書が指さし示しているのはキリストであって、聖書の中心にはキリストが立っているのであります。聖書の中心がキリストであるからこそ「聖なる書」といわれるのであります。なぜなら、そこには、キリストにおいて、神の聖なる救済の音ずれが語られ、示されているからであります。このように考えますと、キリスト論は聖書から生まれて、しかも、聖書の真価を定めるものといえましょう。すなわち、聖書のしめすキリストの「十字架の福音」の光で照らし出されて、その使命を確認されるものであります。ここに、聖書をキリスト論的に読む必要が生ずるのであります。>(同上、序文 iv )とあるとおり、小田切氏にとって最重要であるのは「聖書」そのものではなく、その中に示されている「(十字架の)福音」だったからです。そしてまた、次のようにも述べておられるからです。

<私共は四福音書において、イエスの説教や、イエスの喜び、怒り、行動の中に多くのイエスの実存に触れることが出来るのであります。しかし、私共はこの際、私共の実存に触れるイエスの実存を遠く眺めるばかりでなく、時にはイエス・キリストご自身の実存にわけ入るということが、真にキリストを信じキリストを理解する道であると思うのであります。私のキリスト論の願いも、このような点にあるのでありまして、ただ遠く十字架を眺めて瞑想する十字架の神学より、十字架の事実そのものに肉迫することが必要であると信ずるのであります。私共は神にさえ見棄てられて、「贖いの死」を死に遂げられたキリストの実存に、深き畏れと感謝とをもって迫ることの努力なしには、救の恩恵を知り得ないのではないかと思われるのであります。>(同上、p338)

ここで批判されている「十字架の神学」は、「十字架のみが我々の神学である」と説いた宗教改革者マルティン・ルターの立場を表しています。私見では小田切氏が影響を受けた内村鑑三氏の無教会主義は、このルターの精神を受け継ぎ、これを徹底しようとする志向性があったと思います。ちなみに、小田切氏の最大の論敵となった神学者は、ルター派の流れに立つ北森嘉蔵師でした。

 

 

小田切氏の御著書は多くありますが、その中でもキリスト論論争の著作である『キリストは神か(聖書のイエス・キリスト)-北森嘉蔵教授との討議を兼ねて-』(待晨堂書店)と、『福音論争とキリスト論』(待晨堂書店)、さらに『キリスト論・ドイツの旅 古い信条信仰に抗して』(紀伊國屋書店)の3つを通して「小田切キリスト論」(小田切福音論)の内容を把握することが出来ます。中でも『福音論争とキリスト論』は、小田切氏が医師としての多忙な日々の中で睡眠時間を削って午前3時前までペンをとるという強靭なる信仰の意志によって書き上げられた渾身の著作です。

福音論争3著作の第一弾とも言える「キリストは神か」は小冊子であり、インターネットでの古本販売において法外な値がつけられることがあります。

 

(リンク)

「小田切信男語録」 http://propatoor.blogspot.jp/ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


《御案内》

これは、小田切信男氏の福音論を伝えるサイトです。小田切氏は、「私のキリスト論はむしろ福音論ともいうべきものであって、この論争もキリスト論論争というよりは福音論争とこそいうべきものであります。」(『福音論争とキリスト論』序文 p3)、「私にとって、福音とはキリスト彼自身でありました。それゆえ、私のキリスト論はそのまま福音論であります。」(『キリスト論・ドイツの旅』p189)と述べておられます。

 

【キリスト・イエスが唯一無二の人格でありますから、神もまた唯一の神たる性格を持つのであります。すなわち、キリスト教においてはイエス・キリスト御自身は神ではなく、神といえば必ずイエス・キリストの父なる神なのであります。私共は初代のキリスト教徒達が神々の思想及び信仰の渦巻く異教の世界に福音を宣教するに当って「新しい神」「子なる神」としてイエス・キリストを伝えなかったことを深く考えてみなければならないと思います。(中略)二十世紀の中葉を過ぎた今日、聖書にはない安易な教義の中に安住して初代キリスト教徒達の深い体験とその宣教の真実さをうち忘れてはならないのであります。(中略)イエス・キリストの人格についての問に対する答は「神」とか「人」とかと答うべきではなく、ただ「神の子」と答うるのが聖書に基づく答であります。「神の子」は先在においても、受肉しても、死して甦って昇天しても、常に「神の子」と呼ばれて充分でありまして、それが聖書の語るイエス・キリストなのであります。】(小田切信男著『キリストは神か(聖書のイエス・キリスト)- 北森嘉蔵教授との討議を兼ねて- 』〔待晨堂書店〕p13~15)