「汝らは我を誰と言うか」――キリスト論・論争に於ける問題点――

以下は、昭和33年10月10日に刊行された非売品で、小田切信男著『「汝らは我を誰と言うか」――キリスト論・論争に於ける問題点――』の全文(縦書き)を写し書きしたものです。ルビや傍点その他の表示は写していません。当ブログの管理者が要点と思う箇所は赤字で表記しています。

 

 

(引用開始)

 

 

一九五八年八月二十二日、ヘルムート・ティーリケ教授(Prof.Helmut Thielicke)来日され、酒枝義旗先生、鈴木皇氏の御紹介により、御目にかかることが出来ました。そして、短い時間でしたが、渡辺善太先生の御参加も得て、四人でキリスト論につきお話を伺うことも出来ました。その際、教授に提出致しましたのが、英訳されたこの一文であります。教授の東京滞在は只の一日でしたが、熟読して、御返事を下さるとの御約束をして下さいました。

 

 

 

プロテスタントが日本の国に渡来し、宣教を始めた地区が三箇所あります。それらは、札幌(一八七六年)、横浜(一八七一年)、熊本(一八七一年)でありまして、それぞれ、札幌バンド、横浜バンド、熊本バンドと呼ばれております。

米国の学者、ウイリアム・エス・クラークにより福音を伝えられたのが、札幌バンドでありまして、私は少年の時から、ウイリアム・エス・クラークの記念(In memory of William S. Clark)と記された札幌独立キリスト教会において、三十五年間信仰生活を続けておりました。

数年前、私は東京に移り、都内に小病院を経営しながら聖書の勉強を続けております。私の病院の二階は「日本聖書学研究所」、「日本キリスト者学会」、「日本キリスト論研究会」等のオフィスに用いられており、それぞれ、月一度例会が開かれております。

日本の民族宗教といわれる神道は、民族的祖先を「神」として祭り、国民はまた各自の祖先を「神」として祭る習慣を持っております。また、いわゆる聖人とか英雄とかは、死後において、しばしば「神」に祭られることがありますが、時には生きているままで神扱いされる場合もあります。いわゆる、新興宗教の教祖の中には、自らを「真に神、真に人」と宣言する者もいるのであります。要するに、日本の宗教思想からは、神が人となったり、人が神になったりすることは、極めてあり勝ちなことで、この意味においては、日本人には、唯一神の思想はなく、多神思想が一般的な思想であります。しかも、神々の多くは人間であって、日本においては、神と人との間に厳格な差異が認められていないのであります。

私は二十二歳でバプテスマを受けて以来、パウロの語る「十字架の福音」(コリント前二・二)を「私の福音」として信仰生活を続けて来ましたが、一九五〇年札幌市YMCAの再建された折、「パリー標準」として知られ、YMCAの目的条文となっているものの中に「YMCAは、聖書に基づいて、イエス・キリストを、神とし、救主として仰ぎ・・・」と記されている点に疑問を持つに至りました。

日本では――既に申しましたように、広く東洋諸国に見られると同様に、聖人、義人、英雄を「神」としたり、或は、神が人の姿で歴史の中に現われたもの(使徒行伝一四・一一 ― 一八、二八・六、一二・二二)と信ずることは、珍らしいことではありません。それ故、それと同様の意味で、歴史的人格イエス・キリストを「神」としたり、或は、神が人の姿で現われた人格とするのでは、一異教思想と異らず、聖書の思想からは問題があると感じました。そして、聖書の語るイエス・キリストには、このような異教的説明を加えるべきではないと考えたのであります。

キリスト教にとって、最初の異端であり、新約聖書自身が排撃している、ドケチズム(仮現説)とは、率直にいって、「キリストは神である」「神はキリストである」との主張といえるでありましょう。キリストを「神」とするならば、一般の日本人は、キリストは聖人であったから、死後、「神」として尊ばれ、祭られているのだと理解致しましょう。また、ドケチズムの主張するように、キリストの肉体性、歴史性を否定して、キリストは神なのだといいますと、十字架の死は真の「死」とならずドラマ化し、甦りは必然に第二幕目のドラマとなってしまいましょう。「十字架の福音」を真の福音として追求して来た私にとって、福音のドラマ化は耐え難いことでありました。そして、このような福音理解の観点から考えますならば、三位一体の教義は、聖書テキストにないばかりでなく、福音からは外れた、異教的思惟に近接したものと、ひそかに考えるようになりました。

戦後、一平信徒として、牧師なき札幌独立キリスト教会の礼拝説教を担当し、キリストの「十字架の死」が「贖」を示す福音そのものであることを、深く追求致しますと、どうしても、キリスト論が、キリスト教の中心であることに気がつくようになって来ました。また、いろいろな教会に招かれ、伝道の証詞をし、未信者の人々と接したり、特にYMCAの伝道集会で、宣教の使命を果した後に、「キリスト教とは、イエス・キリストという、外国の聖人を神として礼拝する宗教なのか」と問われ、「創造主という、唯一の神以外に、キリストという、もう一人の神がいるのか、それとも、イエス・キリストが天地の創造主だというのか」と質問されて困ることがありました。これらの原因はみな、YMCA目的条文の「イエス・キリストを神とする」ことにあったのであります。それで私は、YMCAの集会でも、目的条文には触れないように致しました。勿論、福音宣教に際し、キリスト論を持ち出すことは常に危険を伴いますので、私は極力キリスト論には触れないように致しております。しかし、キリスト・イエスを何人と証し、何人と告白するかは、触れずにすむが如きことではありません。しかし、日本のような多神思想の国において――聖人を神格化する国において――イエス・キリストを神と宣言するのは、極めて危険であると感じたのであります。それと共に、私自身この目的条文に疑問と憂慮とを感じておりましたので、私は先ず、日本YMCA同盟に対し「果して聖書に基づいて、イエス・キリストを神と呼ぶことが出来るか否か」と質疑を発しました。このことで、一九五〇年以来日本YMCA内部において、しばしば討議がなされるに至りました。私は一九五五年には「キリストは神か」という表題の下に一書を著し、その中で聖書の語る「神の子」に注目し、神の子は神であるか、仲保者は神であるか、聖書の神は受肉して死を味わうものかとの質疑を呈すると共に、私自身の意見を発表致しました。それと共に一九五五年の「パリー大会」に先んじ、次の如きパンフレットを世界各国同盟に送り、YMCA目的条文について検討を求めたのであります。

 

In order to preserve the purity of the gospel・・・・

A Suggession for a revision of the purpose

of the YMCA Constitution.

 

一九五五年十二月より、日本YMCA機関誌「開拓者」誌上において、六ヶ月にわたり、東京神学大学の一教授と論議を戦わしましたが、それ以来、キリスト論が日本キリスト教界の問題となって来たようであります。私は私の提出した質疑が聖書テキストに即して正しく解決されることを望み、一九五七年「日本キリスト論研究会」を設立致しました。勿論この研究会は、あくまでも、学問的にキリスト論を研究することが目的でありまして、私の主張とか私の希望とは全く無関係であります。

要するに、日本において、このような形でキリスト論が提出され、その内容において、聖書神学上重大な意義あるものと認められた、日本キリスト教界の指導的神学者の諸先生が、積極的に後援し、昨年以来キリスト論講演会が開催されるに至りました。第一回は北海道大学の中川秀恭教授により、ヘブル書のキリスト論が講演され、第二回目は関西学院大学松木治三郎教授により、ロマ書のキリスト論と立教大学小島潤教授により、マルコ伝のキリスト論、それに新見宏牧師により、ヨハネ伝のキリスト論が講義されます。私は将来長く、日本の専門的神学者によって、主として聖書テキストについて、キリスト論が聖書神学の立場から、そして同時に、聖書の福音理解を根幹として展開されることを希望致しております。

私はここに、キリスト論の論争において述べた、私のキリスト論の主張を略記し、広く世界の聖書学者の教えを乞わんとするものであります。

 

 

 

イエス・キリストの先在(pre-existent)や、又復活後の後在(post-existent)を、聖書テキストの示す通りに信じても、先在時が「神」であったという証言がなく、甦った後も「神」になったとの証言を認めることが出来ません。

先在時は「子」と呼ばれ(ヘブル一・二ー三、コロサイ一・一四ー一七、ヨハネ三・一六ー一七)、時にはロゴス(ヨハネ一・一)、永遠の生命(ヨハネ第一書一・二)、真の光(ヨハネ一・九)とも呼ばれましたが、名をもって呼ばれたことがなく、イエス(マタイ一・二五)とかキリスト(マタイ一六・一六)とかの名は、受肉してから、それぞれ、命名された名称であります。それ故、イエス・キリストといえば、「歴史の人」をさす固有名詞であります。なお、甦り昇天後は、「神の子」(黙示二・一八)と呼ばれると同時に、「ダビデの子」(黙示五・五、二二・一六)とも呼ばれ、「小羊」という呼称の如きは、頻繁に用いられており(黙示五・六ー一三、七・九ー一七、一二・一一、一三・八ー一一、一四・一ー一〇、一五・三、一七・一四、一九・七ー九、二一・九ー二七、二二・一ー三)、更に、地上で呼ばれた後の名である、イエスとか、キリストといった名でも呼ばれております。要するに「歴史の人」に用いられた、イエス・キリストという名は、死して甦り、昇天して後も用いられているのであります。しかし、この名は、受肉前の先在時においては使用されたことがないのであります。それ故、イエス・キリストの先在と語っても、「先在のイエス・キリスト」という表現を用いてはならないのであります。

イエス・キリストといえば、必ず「歴史の人」を指しますが、彼は一度死して、死人と呼ばれるに至りました。これはドケチズムへの徹底的反証でありますが、彼はその死人の中から甦らしめられ(ヨハネ二一・一四、使徒行伝三・一五、四・一〇、一〇・四一、一三・三四、一七・三、ロマ一・四、四・二四、六・四、七・四、八・一一、一〇・九、ガラテヤ一・一、エペソ一・二〇)、人類の救のための初穂(コリント前一五・二〇)となったのであります。

イエス・キリストは、受肉者といわれる特殊な人格であっても、真の歴史の人である限り世界史と関りを持ち、ロマの皇帝カイゼル・アウグストの時に(ルカ二・一ー七)、ヨセフの子、マリヤの子として生まれ、ナザレ人(マタイ二・二三、二六・七一、ヨハネ一・四六、使徒行伝二四・五、二六・九)と呼ばれて生活し、人として三十有三年の短かき生涯を、ポンテオ・ピラトの時、十字架にかけられ、死して葬られて終えたという、あくまでも史的人格であります。この点において、ドケチズムは厳しく否定されなければなりません。そして、イエス・キリストと呼ばれ、死して葬られた史的人格は勿論「神」ではなく、また「神」として崇められた事実もないのであります。

ペテロがイエスに対し「神の子・イエス・キリスト」と告白した時、イエスは喜び「父なる神」が啓示し給うたものとして、ペテロを祝福なさいました(マタイ一六・一六ー一七)。イエスが認め、神が啓示したイエス自身は「神の子」・「キリスト」でありました。イエスは、自らを、「人の子」と呼びましたが、「神の子」と自称したことは極めて少く(ヨハネ一〇・三六、一一・四)、それでも受洗時(マタイ三・一七)や、山上の変貌時(マタイ一七・一ー八)には、厳しく「神の子意識」を体験なさいました。イエスには唯一の神が「父」であり、彼自身はその父なる神の「子」でありました。それ故、「神の子」は断じて「神」を意味致しはしませんでした。また「神の子」が、「神」であってはならぬ理由があるのであります。聖書の中には「肉体をもった神」という思想はなく、「死ぬ神」・「墓に葬られた屍の神」という思想もないのであります。それ故、聖書テキストの上からは、「神の子」イエス・キリストを神と呼ぶことが出来ないのであります。事実、聖書は彼を神と証言してはいないのであります。しかし、もしイエス・キリストを神といえば、どうしてもドケチズムに堕し、福音を危くいたします。なぜなら福音は、あくまでも「十字架の福音」であって、「神の子」イエス・キリストの徹底的な死が十字架上で実現していなければならないからであります。そのためには、どうしても、「神」ならざる「人」でなければならないのであります。しかるに、もし、イエス・キリストを神とすれば、神は死ぬべからざる存在でありますから(テモテ前六・一六)、十字架上の死は、ただの見せかけとなり、ドラマ化し、「贖の福音」たる「十字架の福音」を危くすることになってしまいます。ドケチズムの異端性は、福音を危くする点にあるのであります。すなわちイエス・キリストが「神」でなく、「神の子」と呼ばれる歴史の人でなければ十字架の福音が真に福音とはならないのであります。

要するに、先在――受肉――後在を通じ、「神の子」とのみ呼ばれて「神」とは呼ばれない人格が、聖書の中で重大な役割を果しているのであります。

 

 

 

「神性」という、聖書にはない言葉がキリスト教史上に現われ、イエス・キリストの神性を信ずるということは、イエス・キリストを「神」と告白することだと言い、それによって、三位一体の教義が形成され、テキスト・クリティーク上、問題のあるヨハネ伝一・一八が根拠となって「子なる神」という思想が生れて来ました。しかし、「子なる神」と書かれた写本を取り上げても、ここは明らかに先在時について語っているので、歴史の人イエス・キリストについて語っているのではありません。それ故、この一節をもって、イエス・キリストと呼ばれる歴史の人を「子なる神」とはいえないのであります。しかもなお、イエス・キリスト御自身は、「父なる神」を語っても、「子なる神」という「神」を一度も語ったり、教えたりしたことがないのであります。

もし、「神性」という言葉を用いますならば、聖書の中の「神性を持つ者」はすべて「神」と呼ばれているのでしょうか。新約聖書の中に出てくる御使、たとえばガブリエル(ルカ一・二六)は、「神性者」に相違ありませんが(マルコ八・三八、ルカ二〇・三六、黙示一四・一〇)、神ではありません。そして、天の万軍(ルカ二・一三、マタイ二六・五三)も「神性者」でありますが、神々ではありません。キリストの先在時は、天使に勝る(ヘブル一・四)者で、神性者でありましたが「神」と呼ばれず、「御子」と呼ばれました。まして受肉し、天使より「低い者」とされた、イエス。キリスト(ヘブルニ・九)は、「神」と呼ばれる筈はありません。ヘブル書は苦難によって従順を学んだ御子(ヘブル五・七ー九)と呼んでおります。また、イエス・キリストによって救われたキリスト者も、聖化され(ピリピ三・二一、コリント後三・一八、エペソ一三・二四)、神の国の国民とせられて、永遠の生命を与えられた時には、やはり神性者とされたものといえるでありましょう(ペテロ後一・四)。それでも、キリスト者が神々にされるというのではなく、「神の子」とせられ、「世嗣ぎ」(ロマ八・一七ー一八)とせられると新約聖書は語っているのであります。

「唯一神」(テモテ前一・一七、二・五、六・一五、エペソ四・五、ヨハネ五・四四、一七・三、ロマ三・三〇、一六・二七、コリント前は八・四ー六、ガラ三・二〇)の思想は、ユダヤ教のみではなく、キリスト教をも貫いて聖書的であり、イエスの言われたように神が唯一の「父なる神」であればこそ(ヨハネ一七・三)、イエス・キリストは「子」であります。彼の先在時も「子」或は「独り子」であり、後在時も完成された神の国においても同様に、「神の子」であります。そして、救われた者には「救主」「贖主」であって、時には「長兄」とも呼ばれます。要するに、永遠の「神の子」が「独り子」(ヨハネ三・一六)から、兄弟を持つ「長子」となるところに(ロマ八・二九)、人類の救済が全うされるのでありましょう。そして、罪なる人の子としては、罪贖われ、キリストの如く栄化され、キリストの兄弟と呼ばれるに至って、初めて救が完成されるのでありましょう。

勿論、「神の子」といっても、キリスト・イエスについて語られる時と、キリスト者について語られる時(マタイ五・九、ロマ八・一四、ガラテヤ三・二六)との差異は、聖書的に理解しなければなりません。すなわち、本来の神の子と、召されて神の子とせしめられた者との区別はなされなければなりません。しかし、終末時の神の国のメンバーは、すべて神性者といわなければならないと思います。

 

 

 

キリスト教は、イエス・キリストの甦りに始まるものであって、初代のキリスト者は皆、甦りの証人(使徒行伝一・二二、二・三二、三・一五、一〇・四一)と呼ばれました。しかし、福音が異邦の世界に、はやばやと宣べ伝えられ、初めから、イエス・キリストが「死人の中から甦らせられた」と語られたため、おそらくギリシャ、ロマの異邦人達は、そのような人格は、ただの人である筈がないと主張し、神が人になって現われた人格(使徒行伝一四・八ー一八)、否、神そのものとして――新しい神として――信ずる気配を示したことと思われます。初代のキリスト者は、このようなドケチズムがただ一度限りの出来事としての「救済の福音」を危くするものであることを、憂えたことでありましょう。そして、そのドケチズムを否定して、イエス・キリストが「真の歴史の人」であることを主張するためには、どうしても、共観福音書の出現を必要としたのではありますまいか。そして、その後に出たヨハネ文書の如きは、明らかに対ドケチズム的意図をもって記されております(ヨハネ一・一四、ヨハネ第一書四・二)。後世このドケチズム否定のヨハネ文書から、ドケチズム化した教義の生まれてきたことは、確かに不思議なことといわなければなりません。そして、第四世紀に現われた三位一体の教義は、確かにドケチズムに譲歩したものと見なければなりません。

 

 

 

聖書の神は、旧・新約聖書を通じ、受肉せざる神であります。すなわち、「天に在す」(マタイ六・九、七・一一)「隠れたる」(マタイ六・六、六・一八)、「見えざる」(ヨハネ五・三七、ヨハネ第一の四・一二、二〇、ロマ一・二〇)神であって、受肉したと語られているのは「神」ではなく、「神の子」でありました。この意味からも、受肉し、目に見え、死して、屍となった(マタイ二七・五九ー六〇、ルカ二三・五二ー五三)イエス・キリストは、神と呼ばれる筈はないのであります。先在において、神と等しい存在(ピリピ二・六)であったからこそ「神の子」と呼ばれたのであります。しかし、その「神の子」とは、「神」とか「子なる神」とかを意味しなかったし、また意味してはならなかったのであります。なぜなら、神は唯一の神で、受肉はしないからであります。

聖書においては、創造も救済も、仲保者が媒介となっております。神は創造主であっても、創造のわざは仲保者なる御子によってなされたと語られており(ヨハネ一・三、コロサイ一・一六、ヘブル一・二)、神御自身が救主でありますが、救のわざは受肉した「御子」という仲保者によってなしとげられ、新約聖書において「救主」といえば、イエス・キリストをのみ意味するのであります。聖書の仲保者は神ではなく、旧約聖書のメシヤも新約聖書のキリストも神ではありません。異邦人にはどのように神らしく見える神の子も天使も神ではありません。神の聖名はみだりに口にすべきではないのであります(出エジプト二〇・七)。

 

 

 

聖書の思想からは、目の前に立つ何人かに呼びかけ、「あなたこそ私の神だ」と叫ぶようなことはあり得ません。なぜなら、神は「見えない方」(ヨハネ五・三七)でありますから。それゆえ、トマスが甦ったキリストを見て、たとえ、どんなに驚いたからといって「わが主よ」と呼ぶ以外に、「わが神」(ヨハネ二〇・二八)と呼んだことは、聖書的には正しいといえません。トマスの叫びが、新約聖書において、イエス・キリストを神と呼んでいる唯一の箇処でありますが、それがヨハネ伝の筆者の思想と無関係であるのは、このトマスの叫びのあとにすぐ引き続いて記されたヨハネ伝の目的の中に、明らかに「神の子」(ヨハネ二〇・三一)と語って、「神」と表現していないことで理解されるのであります。また、ヨハネ伝の甦りの主が、神を特に「わが神」(ヨハネ二〇・一七)と呼んだことは、たとえ甦って神的存在となっても、それで彼自身が神と呼ばれてならないことを教えているものというべきでありましょう。そしてまた、黙示録における天上のキリストが、彼の地上時の名称であるイエス、ダビデの子、小羊と呼ばれるとともに、天上の彼自身が、神を「わが神」と呼んでいることで、昇天し、天に在すキリストでも決して「神」と呼ばれてならないことを、ひそかに教えているものといえるでありましょう(黙示三・一二)。

なお、日頃、神を、「父」、「わが父」とのみ呼んで常に深い交りの中にあったイエスが、十字架上においては、もはや、「父」と呼ぶことが許されず、ただ「わが神」とのみ呼んで、神との断絶の中に死なれた(マタイ二七・四六)ことの中に、「贖の死」の持つ秘義が物語られているものといえるでありましょう。イエスの語られた「わが神」については、確かに注目すべきものがあります。

 

 

 

要するに、創造から救済・終末を貫き、すなわち、先在―ー受肉――後在を通じ、神とは呼ばれずに「神の子」とのみ呼ばれている仲保者が、救済史の主体的役割を担っているということが、聖書証言の特質であって、聖書の語るこのような神の子の秘義を追求するところに、聖書神学の最大の課題があると思われるのであります。

勿論、聖書テキストのテキスト・クリティーク上、問題となる聖句がかなりありますが、受肉の出来事が徹底的に語られないでは、すなわち、イエス・キリストと呼ばれる人格が徹底的な受肉者――すなわち、「人」であって、「神」ではないということが徹底的に語られなければ、そして、そのことによって、彼の死が、真の死と語られなければ、ドケチズムを排除して、十字架・甦りの福音を徹底し得ないのであります。

聖書の思想では、異教のように「神」が人になったり、人が「神」になったりは致しません。そして、「真の人」は神ではなく、「真の神」は人ではありません。イエス・キリストを「真の人、真の神」と呼ぶことは、むしろ異教的表現であって、聖書的告白とは言えません。このような教義はドケチズムに転落したものというべきでありましょう。

また、「神の」という形容詞を持たないヨハネ伝の「言」も受肉した(ヨハネ一・一四)と語られる点に、グノーシスのロゴスと全く手を分つものであります・それに、聖書の神は受肉致しませんから、受肉前の「言」が、聖書の神と等しく「冠詞をもったセオス」と語られないことも注目すべきことであります(ヨハネ一・一)。なお「神の言」は、ただ一度、昇天のイエス・キリストに用いられている(ヨハネ黙示一九・一三)以外、歴史の人なるイエス・キリストに用いられたことがありません。「神の言」はみな「福音」を意味しているのであります。(なお、ヘブル一一・三の「神の言」にはロゴスが用いられてはおりません)。

要するに、先在――受肉――後在を通じ、「神」とは呼ばれず「神の子」とのみ呼ばれる人格が、聖書の語る救済の秘密をにぎっている人格でありまして、四世紀に出現したドケチズム化した三位一体の教義は、非聖書的であり、非福音的であって、二十世紀の現在、四世紀の神学の枠に閉じこめられて、聖書テキストの語る真理に目をそむけてはならないと思うのであります。

以上は、そのはじめ、日本のYMCA同盟に提出されて論議され、この二ヶ年来、広く日本キリスト教界において論議されて来ているキリスト論の中で、特に私の提出した問題点であります。

私は聖書の真理を学ぶためには、聖書の非神話化以上に、聖書の非異教化、特に聖書釈義の非異教化、教義の非異教化を徹底しなければならないと思うものであります。

そのためには、「神が受肉する」「神が人となる」という思想を「人が神になる」という思想とひとしく、排撃し、真に神、真に人といった思想が聖書的根拠なきことを指摘し、聖書の語る「神の子」なるイエス・キリストの秘義を追求すべきであると思います。(一九五八・九・二九)

 

           

《御案内》

これは、小田切信男氏の福音論を伝えるサイトです。小田切氏は、「私のキリスト論はむしろ福音論ともいうべきものであって、この論争もキリスト論論争というよりは福音論争とこそいうべきものであります。」(『福音論争とキリスト論』序文 p3)、「私にとって、福音とはキリスト彼自身でありました。それゆえ、私のキリスト論はそのまま福音論であります。」(『キリスト論・ドイツの旅』p189)と述べておられます。

 

【キリスト・イエスが唯一無二の人格でありますから、神もまた唯一の神たる性格を持つのであります。すなわち、キリスト教においてはイエス・キリスト御自身は神ではなく、神といえば必ずイエス・キリストの父なる神なのであります。私共は初代のキリスト教徒達が神々の思想及び信仰の渦巻く異教の世界に福音を宣教するに当って「新しい神」「子なる神」としてイエス・キリストを伝えなかったことを深く考えてみなければならないと思います。(中略)二十世紀の中葉を過ぎた今日、聖書にはない安易な教義の中に安住して初代キリスト教徒達の深い体験とその宣教の真実さをうち忘れてはならないのであります。(中略)イエス・キリストの人格についての問に対する答は「神」とか「人」とかと答うべきではなく、ただ「神の子」と答うるのが聖書に基づく答であります。「神の子」は先在においても、受肉しても、死して甦って昇天しても、常に「神の子」と呼ばれて充分でありまして、それが聖書の語るイエス・キリストなのであります。】(小田切信男著『キリストは神か(聖書のイエス・キリスト)- 北森嘉蔵教授との討議を兼ねて- 』〔待晨堂書店〕p13~15)