小田切氏の福音論概観 5

●小田切氏と無教会

小田切氏のことを無教会派の信徒と誤解する向きもありますが、小田切氏は無教会の陣営には属さず、札幌独立キリスト教会の会員であられました(『キリスト論・ドイツの旅』p264)。たしかに小田切氏は無教会主義の流れに育ったとか無教会主義に最も近い境遇に、長く身をおいていたと述べておられ(『キリスト論・ドイツの旅』p302303参照)、所属する札幌独立キリスト教会の設立には無教会の創始者である内村鑑三氏も尽力され会員になられ(同、p291292参照)、、小田切氏自身、この教会について「無教会主義の影響の強い札幌独立キリスト教会」と述べておられます(『福音主義論争とキリスト論』p82)。しかし小田切氏は無教会主義ではなく、さりとて教会主義でもなく、あくまでもサッポロ・バンドのオーソドックスな信仰を継承している「独立教会」の信徒であられました(「独立」が付く以前は「札幌基督教会」)。

なお、小田切氏は、YMCAの目的条文に疑問を感じる頃までは、一般のキリスト教徒と同様、キリストを「神の受肉せる人格」として論じておられたそうですが、それでも「イエス・キリストは神である」とは一度も語らなかったとのことです(『キリストは神か』p23参照)。YMCA目的条文の「イエス・キリストを神とし」の一句に疑問を覚えたこと自体、すでに伝統的キリスト教会の歴史的意義と共にその限界とを直観的に洞察しておられたものと思われます。制度的教会(=見える教会)はいかに神学的理屈を用いて粉飾したところで相対的な集団です。もちろん聖書の正典結集など、その歴史的必然性および必要性を否定することは出来ません。小田切氏も「実は私は、信条の歴史的意義を認め、かつ聖書の真理を示すこともあるという一面を、認めてはおりますが、また必ずしもそうでない多くの危険面に注目し」云々(『キリスト論・ドイツの旅』p302)と述べておられます。「神人二性一人格」や「三位一体」の教義自体が聖書の解釈である以上、その解釈の解釈もあってよいわけで、プロテスタント教会では信条についての解釈の多様性を認めない立場の団体もあれば、認める団体もあるわけです。前者は一般に信条主義といわれ、後者は非信条主義といわれます。小田切氏が会員として所属された札幌独立キリスト教会も歴史的経緯からして、そのような立場の教会であったと思われます。小田切氏が教会の柱的存在であったこともあるでしょうが、正統教理を真っ向から批判ないしは否定している人物を教会員として受け入れていたのですから信条主義であるはずはありません。小田切氏が「聖書に忠なる限り、会員たる資格を失う事のないのが、この教会の特質であります。」(『福音論争とキリスト論』p20)と述べられているとおりです。しかし、非信条主義というのは何でもありの無信条主義とは意味が異なり、信条主義に非ずという意味であって、信仰共同体としての最大公約数的一致は必要です。一般的には、解釈の余地を認めた上で使徒信条を告白するのです(「簡易信条」といわれる「日本基督団信仰告白」の北森嘉蔵氏自画自賛の「前文」の如きは全く無用です!)。むしろ信条(信仰告白)なき教会というものは教会たり得ないでしょう。小田切氏は使徒信条についても、ペテロ3:18~19に基づくと思われる「陰府にくだり」に霊魂不滅の異教思想を見て取り、「キリスト教的な告白と認めることが出来ません。これは、当然取り除くべきだと考えます。」(『キリスト論・ドイツの旅』p360p321参照)と述べておられます。
問題は、古代教会の会議で決定した信条を絶対化することにあります。小田切氏はこのように述べておられます。
<要するに「真に人・真に神」という三位一体の教理は聖書の神観からは成立し得ないにも関わらず、キリスト教史の中に出現し、それがあたかも、キリストが啓示し、使徒なるペテロやパウロも証言した神観であるかの如く信ぜられ、一つの強力な伝承を形造ったことはキリスト教の悲劇と言うべきであります。>(同、p266
「三位一体」の教義の成立自体が「悲劇」であるというよりも、それが使徒の権威に拠って絶対化されたことが「悲劇」だという意味だと思います。信条とか教理とかいうものは両刃の剣であって相対的なものですから、北森氏が「アリウス主義に当面して教会が止むなく展開せしめた」(『キリストは神か』〔待晨堂書店〕p44他)と述べているように限定的・便宜的必要性はあったのでしょうが、それを神の摂理とか聖書の秘義だとかいった言葉で神聖化し、絶対化したことが「正統」と「異端」との対立および歴史的「悲劇」を生んだのです。小田切氏は、<私は初代教会の人々が「神の子」キリストを神のように信じ、礼拝したとしても「神」とは信じなかった訳は「主イエス・キリストの父なる神」が唯一の神たる事を、信仰していたからであると信じております。>(『福音論争とキリスト論』p81)とか、「現代神学や十六世紀の神学や更に四世紀の神学をのりこえて、聖書自身にまで立ち戻って、聖書の語る真理を学ぶのでなければ、あのすさまじい純粋な福音がわからないと主張致したいのであります。」(同、p8990)、「私共は、四世紀の神学を乗り越え、聖書の語るところに、すなわち霊が激しく働き、教え給うた原始の福音に立ちかえるべきではありますまいか。」(同、p118119)、「私はその福音に立つ時に、四世紀の神学をこえて聖書の福音へ、ということを限りなく強調せざるを得ないのであります。」(同、p122)と述べておられるように、キリストを神と同定する教義が成立する以前の福音への回帰を提唱されたのです。
これは制度的教会組織(古カトリック)より前の信仰共同体(エクレーシア)への復帰を意味すると思われます。その点では無教会主義と軌を一にしていると言えます。 ただし、小田切氏は、<日本独特の無教会の神学者は「パトスをもてあましたロゴスの人」といった感が致します。聖書は重んじますし、十字架の福音と信仰義認は主張致します。しかし、パトスが先走ってあまりに早く終点に来てしまい、「ロゴス」が途中で遊んでしまいます。そのために神学形成がむつかしいと評されます。>(『キリスト論・ドイツの旅』p212)と批判しています。
なお、「原始の福音」とは言っても、関根正雄氏も一時期関わったといわれる、所謂、親イスラエルの民族主義的「原始福音運動」の某団体とは何の関係もありません。むしろ小田切氏の立場は日本社会の異教的宗教性を批判しておられます。この点も誤解なきようお願い致します。
小田切氏が尊敬しておられた内村鑑三氏は(親しく接したのは内村氏召天二年前の短期間だけとのこと〔『福音論争とキリスト論』p156〕)、小田切氏とは違って三位一体の教義を受け入れておられたオーソドックスな立場の人でした。しかし当然のことながら教会論についてはラディカルであり、<キリスト教より教会を引き去りて、残るは完全なる道である。われは道なり真理なり生命なりとイエスが言いたまひしその道である。教会という制度的衣装がどろにまみれて見にくしとて、キリストとその福音を捨つる理由となすに足りない。教会なきキリスト教が未来のキリスト教である。パトモスの島に、改造されし世界のさまを示されし預言者ヨハネは言うた、「われ、都の中に聖所あるを見ず。そは主たる全能の神および子羊、その聖所なればなり(黙示録21:22)」と。すなわち天よりくだる聖き新しきエルサレムの都に、聖所すなわち教会あるを見ずとのことである。>(「聖書之研究」昭和4年3月)と述べておられます。
無教会の指導者的存在である関根正雄氏は小田切氏について、<「少なくも今度の問題に関して三位一体の教義を否定される限り、厳密には聖書第一主義ということができないと思う。聖書第一主義という場合には聖書以外の第二のものとして教義をも認めているのだからである。そしてそれが無教会陣営の立場であり、その点において小田切博士の今度の主張は無教会の基盤から出てきたことではないと、私は初めから考えているのである。小田切博士の立場は、今度の問題に関する限り聖書第一主義ではなく、聖書のみ主義といわれるべきであろう。私自身は、かつてもいまも、いわゆる聖書主義者 Biblizistではない」(「宗教革命の理論」一五頁)と述べ、そして明瞭に「私自身も三位一体の神を信ずるものであることを、この機会にはっきり宣言しておきたいと思う」と宣言し、最後に「キリストが神と同質の神の子であり給うからこそ、彼が唯一の神の子であり、唯一の啓示者なのである。『子が父への道であり、父と我とは一つである』とヨハネ伝がいっていることを明確化したものが『ホモウジオス』の真理であると我々は思う」とむすんでおられます。>(『キリスト論・ドイツの旅』p299300 
最後の関根氏の言の「同質」に「ホモウジオス」とルビあり)と述べておられます。ニカイア信条に用いられた問題の「ホモウーシオス」は、「同じ」「同一の」を意味する「ホモ」と、「ウーシア」の形容詞化の「ウーシオス」を合わせた語で、「同実体」とか「同本体」とか「同本質」と訳されます。

小田切氏が関根正雄氏について、<関根先生が「キリストの働きは神と同一のもの」といわれ、あるいはまた「キリストが神と同質の神の子」といわれるということが、なぜ、神そのものであるという告白につながるのか、むしろそれは、聖書が明白に語る「神の子」という称号に適するものというべきではありますまいか。>と述べておられるとおり(『キリスト論・ドイツの旅』p303)、小田切神学に於いては本質が同じ(=同質)ということと、実体が同じ(=キリストと神との同一視)ということとは全く別の事なのです。それは、「神の子」と「子なる神」との区別として示されています。唯一神教は、多神教に於ける「神」のように、同じ「神」という類の中に父や母や子があるわけではなく、また、人の子が人であるのとは違って神の子は決して「神」ではなく(『福音論争とキリスト論』p119参照)、聖書に於ける「神」はあくまでも御父以外の何者でもないのです。

 

●小田切氏の聖書主義 
小田切氏の立場は「異端」どころか、「正統」の立場よりも(上記の、札幌独立キリスト教会の会員資格として言われているとおり)「聖書に忠」なのです。とは言っても聖書そのものではなく、聖書が示すキリストの「十字架の福音」に忠実なのです。なぜなら、<要するに、聖書は「神の言」でありながら、人手によってしるされた書であって、決して、そのままを、神聖視してはいけない(中略)、また同時に学問的に研究すべき書でもある(中略)また、聖書の中にさえ、このような異教思想が介入している>(『キリスト論・ドイツの旅』p319)からです。従って厳密には「聖書のみ」ではなく「聖書の『十字架の福音』のみ」といったところでしょう。だから小田切氏の「聖書主義」は「聖書の『十字架の福音』主義」です。

聖書の中核に「十字架の福音」の出来事をみる以上、どうしても十字架の福音から見たキリスト論が必要となるわけであります。それゆえ、私の意見というよりは、むしろ、聖書証言を主として――特に、十字架の福音に立って――キリスト論を展開したという点に、この論議の特質があるのであります。>(『キリスト論・ドイツの旅』p9)
<あくまでも聖書をして真に聖書たらしめている「十字架の福音」に中心をおき、その「十字架の福音」の光の下で、もう一度聖書を読み直し、まず、聖書自身の中心と周辺を、そして、それは当然聖書のキリスト論の中心と周辺でもありますが、その点を充分識別し、時には聖書の中の異教化したキリスト論をも見出して、これを非異教化し、「聖書本来の論理」としての「キリスト論」を捉えるべきであると信ずるのであります。>(同、p328)と言われているとおりです。
ペテロ3:18~20も「十字架の福音」とは合わない異教化されたテキストとして批判されているのです(同、p357参照)。その「異教化」されたテキストひいてはキリスト教全体を「非異教化」するための基準が「十字架の福音」です。

<「陰府に下り」の思想は、いわば霊魂不滅思想でありまして、復活思想に反します。これは聖書の中なる異教思想として、十字架の福音の光で除去すべき部分にぞくするものと思います。ここに非異教化の必要が認められるのであります。>(同、p321)

<神が霊なのに関わらず、神が死んだり、神が血を流したりするという神学が横行するようでは、果して真のキリスト教的神観が確立せられ、それによって真のキリスト教的福音信仰がなり立ち、不安なく、宣教が出来るものと言えましょうか。このような点から、私はキリスト教をして真にキリスト教たらしめている福音に立って――十字架の福音に立って――広くキリスト教の非異教化を徹底すべきであると信じます。>(同、p365)

小田切氏が長生きしておられたら、現代神学の多くは「非異教化」の対象として審判を受けなければならなかったのではないかと思います。モルトマンも北森氏の「痛みの神学」に影響を受けている以上、小田切氏の批判の的になるでしょう。また、小田切氏は「反共」的思想を持っておられたので、中南米で発生したカトリックの「解放の神学」には(そもそもカトリックということはありますが・・・)異教性を感得されたでしょう。さらには「フェミニスト神学」など、確実に小田切氏の「非異教化」の対象とされたはずです。なにせ「神観」からして「非性」的で恣意的で「非聖書的」ですから・・・。

小田切氏御自身が否定しておられるとおり、小田切氏はファンダメンタリストではありません(『キリスト論・ドイツの旅』p191)。言語霊感説の如きを採る所謂「福音派」ではないことは言うまでもありません。それは前述のペテロ3:18~19に関して、「ここは新約聖書の中でも、かなり明瞭に異教思想の介入した所と認められるところでありまして、それがとくに後代、使徒信条の中にとり上げられるに至りましたため、一層問題視されなければならない所であります。(中略)要するに、聖書は「神の言」でありながら、人手によってしるされた書であって、決して、そのままを、神聖視してはいけないということを気づかしめるために、また同時に学問的に研究すべき書でもあるということを気づかしめるために、このような場所の存在が必要であるともいえましょう。また、聖書の中にさえ、このように異教思想が介入しているのであれば、その後のキリスト教史に現れてきた、聖書にはない思想の凡てを、聖書からの正しい発展とのみ言いきれないもののあるということに醒めなければならないと思います。>(同、p319)とか、「聖書も一応史的文献でありますから、いろいろ写し間違いがあったことが考えられます。良いテキスト、悪いテキストなどということもいえるでしょう。しかし、テキスト研究の立場から申しますと、良いテキストよりもむしろ、悪いテキストの方が興味をもって注目せられるものでありまして、相互に比較検討してみて成程ここには問題がある、それでその問題となった事情や理由を、追求してゆくという所に文献学的な面白い研究が開けてくるのであります。」(『福音論争とキリスト論』p105)とか、<私は、使徒行伝を取り上げられた教授に対し「私はルカの筆になる使徒行伝のパウロの信仰史とパウロ自ら書き記した信仰史との不一致については、パウロの書いたガラテヤ書の方により歴史性のあることを信じて来ました。それとともに、パウロの思想についてはルカが紹介したパウロのいくつかの説教より、パウロ自身の書いた書翰の方に重きをおくべきものと信じて来ております」と書いたのでありますが、これについては今も、誤りはないものと思っております。>(同、p209.『キリストは神か』p41参照)といった発言からも察せられるでしょう。しかし、所謂「非神話化」の解釈はあまり見られません。それは『福音論争とキリスト論』の中に記載されている「聖書の世界観のシェーマ(私見)」という図に現れています(同掲書p108109)。すなわち、その上半分は「神性者の天[神の国のメンバーADCE]」とあり、Aは「神」、Dは「昇天した神の子イエス・キリスト」、Cは「天使」、Eは「神の子とされた人々・救われた人々」であり、この4つが、神の国を示す直角三角形の中に収まっています。そして同じ神性者ではあるのですが三角形の外にB(=「先在の神の子」)と、F(=「救われた万有」)があります。ここで特に注意を要する事は、先在のロゴスが受肉したキリストは、「神の子」としての一貫性・連続性はあるものの、死んで復活した後はもはや先在の状態には返らないということです。なぜなら受肉した時点で体を有し、それは復活、昇天後も変らないからです。それ故、同じ「神の子」でも、神の国に入っているDと、その外に位置付けられたBとの区別があるわけです。そしてこのような図式について小田切氏は、「ブルトマンの非神話化の時代に、天使でもあるまい、幼稚園や日曜学校の生徒でもあるまいし、というかも知れません。しかし私は聖書の中に書いてあり、またイエス御自身が語っていらっしゃるこのようなことは、一応心してよく読み、その意味することをよく考える必要があると思うのであります。」(同、p102)と述べておられます。
聖書と教会とを対置し得ないのは、我々が手にしている聖書が制度的教会によって正典として編集され、長い年月を経て書き写され翻訳されて成立しているからです。もっとも、「教会がわれわれと神との間に立つのではないように、聖書も神とわれわれの間に立つのではない。イエス・キリストが聖書を通してわれわれのところに来るのではない。聖書は神と直接に出会った人々が彼らに語りかけられた神の言葉を解釈し、報告した記録である。教会が聖書を生み出したのではない。教会は聖書の正典の範囲を定めただけである。今日、われわれもイエス・キリストと直接に出会うが、聖書の証言によって導かれるのでない限り、われわれはイエス・キリストを正しく理解することができない。」(~佐栁文男氏の論文<H.リチャード・ニーバーにおける「信仰の神学」>といった指摘もありますが、小田切氏は次のように述べておられます。

<私はいわば聖書を尊び、重んずるという聖書主義者の一人でありますが、或人からは「聖書のみ主義」だと言われました。しかしそうは言っても、聖書以外のものを少しも顧みないという偏狭な聖書主義者なのではありません。ただ私はキリスト教の福音が「十字架の福音」であることを知って以来、この福音の光で聖書を読み直したのであります。それ故、私は自ら「十字架の福音の光の下における聖書主義者」をもって任じております。>(『キリスト論・ドイツの旅』p212~213)

小田切氏の旺盛なる神学活動の原動力が「十字架の福音」への「パトス」であったということが伝わってくる言葉です。ただし「パトス」と同時に「ロゴス」を備えていた人であったからこそ、その活動が発展していったと言えます。普通はそのどちらかに偏りやすいようです(同、p212参照)。ここで或人と言われているのは無教会の関根正雄氏であり(同、p299~300参照)、批判されたことへの応答として、「聖書のみ主義をもってはじまらない聖書第一主義の如きもののあることが考えられません。」(『福音論争とキリスト論』p82)、<私には「聖書のみ」を優位とせぬいかなる主義も教義も危険なものであると思われます。そして聖書の外なるものに聖書を従わせようとする一切のものにこそ危険を感ずべきであります。それ故もし聖書のテキストからはいえないことで、教義の上からはいえるということであれば、私は「聖書のみ」を選ぶものであります。>(同、p84)、<卒直に申しますと、キリスト教会は、第四世紀の教理をもって、聖書のもつ真理を左右しすぎているのではないか>(同、p88)と述べておられます。 

 

●聖書と大衆
普通に聖書を読んで、信徒なら一度は感じたであろう、聖書の記事と三位一体教義との矛盾を、小田切氏自身信徒として、ズバリと指摘してくれています。たとえば、祈りについてです。キリスト者の信仰実践は第一に祈りですが、小田切氏が、「神と人との間には、仲保者なるキリスト・イエスが立ち給うのであります。それゆえ祈りもまたキリスト・イエスの名によって捧げられるのであります。」(『キリストは神か』p47)と述べておられるとおり、キリスト教の祈りは基本的に主イエス・キリストの御名「を通して(によって)」父なる神に向けてなされるのです(『キリスト論・ドイツの旅』p356.初代キリスト教徒のキリストに対する祈りの問題については同、p150151199200参照)。そしてキリストが弟子たちに教え給うた「主の祈り」は、御自分をも含めての神に対する祈りではなく天の父なる神に対する祈りです(同、p156229参照)。小田切氏は、<キリストが神であったら、キリストの父なる神キリスト御自身が「天にいます我らの父よ」と呼びかけて祈るように教え給うた方は誰でしょうか。聖書の語る唯一の神がキリストなのでしょうか。それとも、キリスト御自身が「わが神」(父)と呼ばれた方なのでしょうか。>(『福音論争とキリスト論』p82)と、小田切氏が無教会派の政池氏の解釈を「三神単一論」と批判しています(『キリスト論・ドイツの旅』p306)
そして、「イエスにとって、祈は決して独語ではなかったのであります。あくまでも他者なる、唯一のまことの神に呼びかけている対話でありました。」(同、p99)と言われました。そして十字架の贖いの死を前にしたキリスト御自身の祈りについても、<キリスト・イエスは、いわゆる三位一体の「神」でなかったからこそ、ゲッセマネにおいて神へ祈りを捧げ、御心ならば我よりこの盃をとり去り給えと訴えたのでありまして、決してドラマの演出ではないのであります。神と一体ならば、いわば神とのひもつきならば、もう一切が何から何まで解っているのでありますから、祈る必要もないし、血の汗を流して訴えるということもいらないのであります。>(p121)と述べておられます。実にごもっともです(『キリストは神か』p5152も参照)。多くの信徒は聖書を読んでいて疑問に感じることはあっても、教義に関しては司祭や牧師が語る「神秘」だの「秘義」だのといった言葉に惑わされて、あるいは理屈ではなく信仰で受け入れるべきだといった言葉に誤魔化されて何かしら深遠なる奥義が隠されているかのようにも思い込まされ、まあ、そういうことなんだろうと疑問を中断し済ませることがあるわけですが、小田切氏はそうではなかったわけです。もちろん聖書の理解については小田切氏が「ヘッドの問題たるより、より多くハートの福音信仰の問題」(『福音論争とキリスト論』p65)と述べておられるとおりであり、聖書には確かに頭で理解できない秘義があり、それが御子に関することであることは後述の小田切氏の言葉にあるとおりです。従って正統主義的立場の言う「論理ではなく信仰で受け入れる」というのは一見ごもっともなことのようでありますが、彼らの神学自体、教会組織にとって都合のよい範囲での論理であり、都合の悪いところでは批判を避けるために不合理だの神秘だのを語って思考を停止させ信仰を持ち出して正当化する実態があるということも押さえておかなければなりません。イエスは弟子達に喩えをもって福音の奥義を説かれました。そして弟子達はイエスの生前は悟らなかったようですが、我々に与えられている聖書はイエスが復活し、弟子達が福音の秘義を悟り新生して使徒パウロに受け継がれた証言を中心に記しているのですから、我々信徒が生前の弟子達と同様である必要などないわけです。だから、「神とキリストとをただ信じさえすればそれでキリスト者といえるかと申しますと、そうではありません。キリスト者はあくまでも、聖書の語るところに従って信ずるのであります。」(同、p97)と言われると共に、「学者とか知識階級の人達だけにわかるキリスト教でありますなら、どうして一般の大衆が命をかけて信ずるというような宗教になり得たかが、解らなくなってしまいます。」(同、8586)と述べておられます。その命をかけて信じた一般大衆は、ただの大衆ではなく、信仰を与えられた民衆であったのですが、いかに信仰を与えられ召されたキリスト者であっても、「聖書に対し、何人も全き理解の至難なことを考えますならば、そして聖書の真理に――とくに、神とキリストに――対決するのであれば、その思考や思想に変化があって然るべきだと思います。」(『キリスト論・ドイツの旅』p263)とも言われているように、聖書は必ずしも単純明快な書ではなく、「その前後を読み、或はその書を貫いて読んでみる必要」があり、「聖書全体の光に照らして読んでみることも必要となる・・・そのような読み方が非常に大切」なのであって(『福音論争とキリスト論』p97)、その釈義はやはり神学的営みとなるでしょう。また、「聖書は両刃の利き剣であります(ヘブル四・一二)。自らを傷つけることのないように、そしてまた人を傷つけることのないように注意すべきであります。」(同、p251)と述べておられます。

小田切氏は、「熱心な平信徒、自称聖書主義者にも問題があります。なにしろ、熱心なだけで聖書を学べないのは、親切なだけでよい医者になれないのと同様であります。熱心さは自然にその人らしい実存的な神学思想を生み出します。そして、やがて、自我流の砦を作ることとなって、他を省みることが出来がたくなります。しかし、この弊害を打破するものは、心して、他にきくという心がまえ、他の主義、主張に敬意を表して、その論じ説くところに耳を傾けるというところにあります。キリスト教に要求される、このような謙虚さが、その欠点を少しずつ匡正することでありましょう。」(『キリスト論・ドイツの旅』p212)と述べ、「熱心な平信徒、自称聖書主義者」の短所を指摘しておられます。しかし一方に於いては、「初代のキリスト教徒達のキリスト論は、いわばその多くは、平信徒神学者達によって論ぜられたものであった事を思いますなら、現代に於いても平信徒が自由に神学し、自由に発言して、旧来の伝統の束縛を去り、真理に肉迫する事が必要でありましょう。」(『福音論争とキリスト論』p127)と述べておられます。そして、<神学者が興味をもつ「キリスト論」ではなく、平信徒が福音を追究しての真剣な「キリスト論」である>(『キリスト論・ドイツの旅』p309)とも述べておられます。「熱心なだけで聖書を学べない」という指摘を除いては、私見では小田切氏ご自身も「実存的な神学思想」を営んでおられた「平信徒神学者」ということになるのではないかと思います。その「実存(論)的」という表現に着目しますと、小田切氏と交流があった野呂芳男氏に代表される「実存論神学者」に対しては、「パトスは高いのですが、その道は狭く、しかも一方通行であって、社会的横のつながりが少なく、いわば自主性過剰とも言うべきものがあり、ややもすると、キリストも神も、彼の実存の中で思いのままに処理してしまうという危険をもっております。」(同、p211)と言われており、まさに「有限な神」を説いた野呂芳男氏などはここで言われている「彼」にあてはまりそうな気がします。ここでは「実存的な神学思想」も「実存論神学(者)」も、必ずしも肯定的な意味では言われておりませんが、他のところでは、キリストを信ずる信仰者の実存に迫る実存的神観はまた聖書の神観であります。(中略)信仰者の実存からは愛なる神、聖なる、義なる神、審きの神というように、倫理的主体者として語られ、告白されます。これが実存的神観の特質であります」(同、p270)と肯定的意味でも用いられている箇所もあります。ただしそのあと、対照的に「客観的」あるいは「非実存的(p271、365)な態度が厳しく批判されます。<しかし、それだからとて、客観的に「神の心の内容」が愛、聖、義、審だなどといいますならば、それは言い過ぎであり、否、罪――神を規定せんとする罪――をさえ犯すことにもなりましょう。そして、キリストも使徒達も教えず、キリストの啓示とも関わりのない「神の痛み」が「神の心の内容」であると客観的に断定するのは、自らの創作した神についてのみ言われることでありまして、真理性をもつものではないのであります。>(同、p270)

あるいはまた、聖書の神は実存的に語られ告白されても、客観的に、思弁し、忖度し、規定できるものではないのであります。」(同、p271)と、「実存的」という言葉が肯定的な意味でも用いられると、そのあとでやはり対照的に、<すなわち、神の本質というようなことを論じて、客観的に真・善・美とか、愛・聖・義とか、全知・全能とかと非実存的に――告白としてではなく――神を語るということは間違いであります。まして、神が三位であるとか、その三位が一体であるとかと論理によって神を処理し、神を論ずることは――カトリック神学ならいざ知らず――それはいわば神に抗する不遜な業であります。被造物が創造主をあげつらうことは、そのまま罪にほかなりません。北森教授の「神の痛み」の神学には、このようなアカデミックな「罪」がみちみちていると言えましょう。パスカルをして「哲学者の神ではない」と書かしめたものは、彼自身このような、ひそかな警告を実感していたからでありましょう。ここに哲学者、神学者であるキリスト者の注意すべき点があるのであります。キリスト教における三位一体の信条も、教授の「神の痛み」もともに、このような点においては、罪を犯し続けてきたものとして反省すべきものがあります。>(同、p271)と厳しく、北森の「神の痛みの神学」に代表される「客観的・非実存的」姿勢およにその神観を批判しています。さらに、神を客観的にことあげする(論ずる)ことは「人の限界」を越すことを敢て試みることでありまして、神へのそむきにも近いものがあるのであります。すなわち、そこには、己れを神とすることの一つの危険性がひそむのであります。神は非実存的に論及すべきではなく、あくまでも、神の御手の中にあって、実存論的告白として論ぜらるべきものであります。」(同、p365)などと、やはり「実存(論)的」な信仰のありかたと、「客観的」な信仰のありかたとが、対照的に語られています。結局、小田切氏が積極的な意味で言われる「実存(的)」とは、孤立した個人主義ではなく、他者との関係に開かれたあり方であり、知的関心よりも情意的探求に重きを置いた切実な姿勢であると感じられます。そして小田切氏自身の活動について「実存的」という表現を使うことは不適切とはならないと思います。上記のように自ら「十字架の福音の光の下における聖書主義者」(同、p213)を自任しておられた小田切氏の信仰の核心が「十字架の福音」であるという点では、ルターやキェルケゴールの流れを汲むプロテスタントの「実存(主義)的」思想家であるといった感じです。その「十字架の福音」についても小田切氏はこのように言われています。

<私は「十字架の福音」といって、それがわかりきったこととして論じておりますが、「十字架の福音」は人それぞれの実存論的受けとり方もあり、一定の型に定めがたいものであります。>(同、p370)(6へ続く)
 

《御案内》

これは、小田切信男氏の福音論を伝えるサイトです。小田切氏は、「私のキリスト論はむしろ福音論ともいうべきものであって、この論争もキリスト論論争というよりは福音論争とこそいうべきものであります。」(『福音論争とキリスト論』序文 p3)、「私にとって、福音とはキリスト彼自身でありました。それゆえ、私のキリスト論はそのまま福音論であります。」(『キリスト論・ドイツの旅』p189)と述べておられます。

 

【キリスト・イエスが唯一無二の人格でありますから、神もまた唯一の神たる性格を持つのであります。すなわち、キリスト教においてはイエス・キリスト御自身は神ではなく、神といえば必ずイエス・キリストの父なる神なのであります。私共は初代のキリスト教徒達が神々の思想及び信仰の渦巻く異教の世界に福音を宣教するに当って「新しい神」「子なる神」としてイエス・キリストを伝えなかったことを深く考えてみなければならないと思います。(中略)二十世紀の中葉を過ぎた今日、聖書にはない安易な教義の中に安住して初代キリスト教徒達の深い体験とその宣教の真実さをうち忘れてはならないのであります。(中略)イエス・キリストの人格についての問に対する答は「神」とか「人」とかと答うべきではなく、ただ「神の子」と答うるのが聖書に基づく答であります。「神の子」は先在においても、受肉しても、死して甦って昇天しても、常に「神の子」と呼ばれて充分でありまして、それが聖書の語るイエス・キリストなのであります。】(小田切信男著『キリストは神か(聖書のイエス・キリスト)- 北森嘉蔵教授との討議を兼ねて- 』〔待晨堂書店〕p13~15)